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3月の真夜中、こどもたちは故郷の光を目指す 「30kmオーバーナイトハイク」が象徴する、これからの時代の歩み方

  • 4月3日
  • 読了時間: 7分

更新日:20 時間前


 冬の寒さが尾を引く3月、なぜ、あえて「真夜中」に歩くのか。


 2026年3月28日から29日にかけて開催された自然体験プログラム「30kmオーバーナイトハイク(以下、ナイトハイク)」。小学3年生から6年生までの計10名が夜を徹して、出雲崎駅から柏崎の市街地までの道のりの踏破に挑む。


 本プログラムにスタッフとして初めて参加した筆者は、前述した疑問を抱いていた。なぜ、あえて「真夜中」に歩くのかーー。しかし、暗く、寒く、いつもより長く感じたあの一夜は、変化の激しい時代を生きるこどもたちにとって大きな価値になるだろうと振り返る。本稿では「ナイトハイク」の様子をレポートしたい。



 午後6時半ごろに集ったこどもたち。まずは班に分かれてワークショップを行う。班全員の両手をかたどった線を引き、手で囲われた中央にそれぞれの班の目標を記す。そして両手の内側には目標を達成するために個人が何を「する」のか、一方で両手の外側には何を「しない」のか、各々が記した。



 こどもたちは「つかれているひとに『がんばれ』と言う」「つかれてる人がいたらせなかをおしてあげる」ことを誓う。そして「おそい人がいたらみすてる」「機嫌を悪くする」ことを“しない”と決意する。



 ワークショップ後にはこどもたちとスタッフ全員で本プログラムのテーマソングを高らかに歌い、長い一夜は幕を開けた。10名のこどもたちと2人のリーダースタッフ(筆者含む)は高揚と不安が入り混じるなか、柏崎駅から電車に乗り、スタート地点である出雲崎駅へと向かう。



 20時59分、出雲崎駅に到着。こどもたちは2班に分かれ、スタッフたちに見送られながら「ナイトハイク」がスタートした。



 序盤はおしゃべりをしたり、ときに班員全員でしりとりをしながら「道の駅・天領の里」を目指し峠を越える。真っ暗な夜道を歩く機会など、大人でさえそう多くはない。ましてやこどもたちにとっては特別な冒険の始まり。こどもたちの足取りは軽く、弾んだ熱気に満ちていた。



 見慣れたはずの街並みが、夜のフィルターを通すことで全く異なる表情を見せる。こどもたちは、まるで修学旅行やお泊まり会にも似た高揚感を覚えていたことだろう。真夜中に歩くことの価値はこの非日常感にあると、当時の筆者は感じた。



 「道の駅・天領の里」「石地海水浴場」など、5kmごとに設けられた休憩所で一息つきつつ、一行は順調に歩を進めた。15km地点の「椎谷岬」ではスタッフが用意した豚汁・おにぎりを頬張る。「うまっ」「美味しい」の声が自然とこぼれ、昨年も参加したこどもは「ここで食べる豚汁が最高なんよ」と後輩に教示する。真夜中はなじみのある料理の印象さえも極上のものへと演出する。



 道中、こどもたちは2つのトンネルを抜けることとなる。およそ14km地点となる「椎谷岬トンネル」、およそ21km地点となる「刈羽トンネル」だ。



 普段のトンネルは暗闇や静寂の象徴として、どこか無機質な印象を与える。しかし、すべてが闇に包まれた真夜中においては、その印象が逆転する。オレンジ色の照明が続くトンネル内は外の暗闇とは対照的に、光に満たされた世界と化す。



 日常ではただの通路であるトンネルが、この夜ばかりは異世界への入り口のように妖しく輝き、こどもたちの冒険心をくすぐる。それぞれに大きな声を発し、トンネル内に声を響かせる、やまびこにも似たあそびを楽しむ姿もあった。これもまた真夜中でしか味わうことのできない体験であろう。



 約20km地点となる大湊海岸の休憩所に到達した時刻はスタートから4時間が経過した午前1時30分過ぎ。残り1/3程の距離となりつつも、ここからが「ナイトハイク」の本番といって過言ではない。普段なら熟睡している時刻に10kmもの距離を歩くのだ。あえてネタバレをするならば、こどもたちがゴールするのはここから4~5時間以上も後になる。



 20kmの道のりで蓄積した筋肉の疲労。また3月下旬の真夜中の外気温は一桁ほどであり、朝方に近づくにつれて徐々に低下していく。ただ気温に反比例して眠気はだんだんと強まっていく。


(右)柏崎刈羽原子力発電所
(右)柏崎刈羽原子力発電所

 「筋肉の疲労」や「寒さ」、そして「眠気」。加えて夜特有の環境である「暗闇」が、こどもたちの負荷になっていると筆者は感じた。


 これほど疲れている自分は、今どこにいるのか。あとどれくらい歩けばゴールに、見慣れた故郷にたどり着くのかーー。夜の闇は自分の現在地やゴールまでの距離感を曖昧にする。


 とくに刈羽トンネルから荒浜地区までの21~25km区間は、住宅地から離れた一本路を歩くこととなる。木々に囲まれた不気味な道のりを、点々と灯る街灯を頼りに、ただただ真っ直ぐ、歩く、歩く……。



 20km地点からこどもたちの歩くペースは徐々に落ちていた。赤信号を機にこどもたちは腰をおろし、信号が青に変わると重い腰を上げる。こどもたちの表情はスタート直後とは明らかに異なるものとなっていた。



 スタート時からの変化は表情だけではない。実は15km地点から足の痛みを訴えていた、赤いジャケットを着た子の背に、出雲崎駅で担いでいた緑色のリュックはなかった。少し前を歩いていた子がリュックを代わりに担いでいたのだ。


 筆者の班がスタート前、模造紙に記した目標は「班のなかま全員で両手をあげてゴール!!」だ。もちろん本プログラムは安全を第一に考え、途中でリタイアすることもできる。たとえリタイアしても、その一夜にはたしかに価値があるであろうと筆者は思う。



 しかし、こどもたちは最も苦痛を感じているであろう1人に対して、自分は「班のなかま全員で」ゴールするために何ができるのか、何をするのかを考え、交代しながら緑色のリュックを担いだ。仲間にリュックを担いでもらった子にとって、その姿は残りの道のりを歩く活力を与えたに違いない。そして25km地点の休憩所からは再び緑色のリュックを自分で背負い、ゴールを目指した。



 25kmの休憩所以降は、赤信号に差し掛かるたび、道端で腰を下ろした。班員の口数が少なくなっていく。



 実は今回の一夜の中でとある子の目に涙がにじみ、嗚咽交じりの声が聞こえてくる場面もあった。眠い、寒い、痛い、暗い。つらい、苦しい……。素の自分がさらけ出されてしまう極限状態の中、こどもたちは淡々と歩を進める。



 午前5時を過ぎると次第に辺りは青みがかった世界へと変化していく。



 午前5時30分ごろ、一行はついにゴール地点を目でとらえる。同時に暗く、長い夜が明けた。最後は班員全員で両手をあげ、無事に30kmの完歩を達成。続いて後方を歩いていた班も無事にゴールへとたどり着いた。



 完歩したこどもたちは用意された寝床に倒れ込むようにして、すぐさま深い眠りに就いた。



 こどもたちが起床したのは午前11時ごろ。栄養補給としてあたたかいうどんを頬張り、そのあとは班ごとにメンバーそれぞれの頑張りをたたえる。「ありがとう」「すごかった」「がんばった」。聞きなじみがあるはずなのに、普段よりもたしかな重みを感じる言葉が飛び交った。



 プログラムの最後には「ナイトハイク」修了式を実施。修了式にはこどもたちとともに保護者も参加。完歩した10名とリーダーへ、賞状が1人ひとりに手渡しで授与された。そのあとには「ナイトハイク」の記録をスライドショーであの一夜を振り返る。



 修了式の幕引き時、あそびそだちiLabの代表はこどもたちへ、また保護者の方々へ、次のように語りかけた。



「技術が進歩するなか、たとえば脳に外から信号を送るなどして、今回30kmを歩いた感覚を一瞬で、いとも簡単に手に入れることができるようになりつつある。それでもわたしたちは(今回のような体験を企画することで)もう少し時代の流れに抗ってみようと思う」

 AIの台頭をはじめとする技術革新により、数年後には今ある職業の多くが存在していないとささやかれる、変化の激しい現代。一般的な社会のレールに沿って進むことが当たり前だった時代は、もしかしたら終わりを告げようとしているのかもしれない。



 もしも未来、はたまた現代は、1人ひとりが自ら道を切り開くことが求められる時代なのだとしたら、それはまるで暗く長いトンネルの中を歩くような人生。足元のレールが見えない、もしくはレールが存在さえしない暗闇を、どこへ進めばいいのかも分からずに歩き続けるような道のりになることだろう。


 そんな未来や今を生きるこどもたちにとって、今回の体験はきっと大きな意味を持つ。ゴールへたどり着くことを信じ、仲間と励まし合いながら、暗闇を歩き続けた一夜の記憶。それは将来、彼らが人生という名の暗いトンネルに迷い込んだとき、再び歩を進めるための勇気を与えてくれるはずだ。


 ……いや、もしかしたら彼らは暗闇の中を歩くような日々さえも、心を躍らせながら楽しんでしまうのかもしれない。トンネル内の景色に心を躍らせていた、あの一夜のように。



(文・写真/サトウマサト)

 
 
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